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2007年4月 特定非営利活動法人 舞浜ソーシャルサポート 「ソーシャル・サポート 第1巻」 特集:地域ケアの展開 こちらの研究誌「子育て支援」部門に掲載 | ![]() |
第2の子育て支援
〜ハートに支援、寄り添う心〜
「Family」・・・家族・一族・民衆
思い出してください。家族とは何かを・・・
子育て支援の芽生え
私が子育て支援に興味を持ったのは今から6年前、22歳の時だった。20歳で保育科を卒業し、保育園に就職。新米だった私はまだ自分の保育観があるわけでもなく、先輩保育士の真似をすることで精一杯だった。
2年目に入り、0歳児クラスの複数担任から一時保育事業の縦割り保育を1人で担任する事になった。毎日通園する園児とは異なり、週2回訪れる児、単発で訪れる児、0〜5歳合同で泣き声が聞こえない日は1日もなかった。特に利用者の傾向が「パート就労」という名の「子どもと離れたい」母親達。その中には、成長発達に心配のある児も数名いた。床を見つめてひたすら回転する児、倉庫に閉じこもる児、パニックを起こしひたすら叫ぶ児。 試行錯誤の毎日の中、子どもの表面的行動だけでなく、内面的心理に真正面から向き合うよう努めた。
保育観の確立
22歳という若輩者の私であったが、自分自身の保育観を見出しつつあった。子ども達1人1人が自信を持って取り組める役割を見い出し、それを実践することで自分がここには必要であるということの意識、また一定のルールの中で縦割り保育の長所である異年齢交流での助け合い保育に努めた。その中で子ども達も徐々に信頼を寄せるようになり、また1人1人の個性を認め合える仲間達となっていった。それと同時に子どもの成長と信頼関係から、保護者の方の心の殻も剥けはじめた。そしてそこにあったものは、家で苦しむ母親の姿であった。
気持ちの共有が難しいRくん
両親の共働きから一時保育を利用するようになったRくん。2歳半だったRくんは単語はなく、喃語(意味を持たない言葉・音)のみ。こちらの言葉掛けには耳を傾けることなく、自分の世界を持っている児であった。
Rくん 「あー、にょごにゅにゅ・・・」
保育士「Rくん、何して遊んでいるの?」
タタタタ・・・(黙って誰も居ないところに立ち去る)
週2〜3回の登園が2週間ほど経ち、次第に状況もわかってきたRくんは日中叫んで倉庫に閉じこもることが多くなった。しかし、保護者との別れ際に泣くことはなかった。別れた後、1人真っ暗な倉庫で泣く。戸を空けようとすると叫んで拒否。Rくんは母親が居ないことの寂しさ・母親への愛おしさに気付き始めていた。しかし、その感情をどこにどうやって表現していけばよいかがわからず倉庫という【自分の心】に閉じこもっていた。
私はひたすらRくんが出てきてくれるのを待った。1対1での保育ではなかったため、他の子ども達を保育しながら出てきたら一番に「おかえり」を言ってあげられるよう、スムーズにクラスに溶け込めるよう・・・。
1ヶ月・2ヶ月と時が過ぎるにつれ、倉庫での時間も短くなっていき3ヶ月に入る頃には倉庫も必要なくなるようになってきた。しかしそれはRくんとの関係が近づいたのではなく、Rくんが保育園のクラスという環境に慣れたに過ぎなかった。「Rくんに近づきたい。同じ目線で同じモノ共有したい。」そこで始めたのが、保護者との交換日記であった。
子どもの全てに目を向ける
「Rくんのことをもっと知りたいので、交換日記をしませんか?特に気負いせずに書いていただいて構いません。日常の様子を教えてください。一緒に考えて行きましょう。」
戸惑う表情を見せながらも、次の日さっそくノートを持参してくださった。
初めのうちは必要事項ばかりの交換日記が、回を重ねるたびに保護者の思いやRくんの行動なども細かく記してくださるようになった。
食事へのこだわり・気持ちの共有ができないことへのやるせなさ・母としての自信が持てないことなど沢山抱えている重荷を降ろし始めた母親の姿が綴られていった。
その頃、Rくんは園での生活の流れも把握し、本人が困る様子もなく安定した毎日を過ごしていた。そして、Rくんは電気のスイッチに興味を持ち始めた。スイッチを見上げながらウロウロするRくん。禁止や制止をさせるのでなく、外遊びでお部屋を出るときの電気消しという役目を決めRくんの活躍の場にした。他の子ども達も暗黙の了解だったのか、誰一人「ずるい」と口にする児はいなかった。このお当番を続けていくうちにRくんはアイコンタクトで私に訴えてくれるようになった。「やってもいい?」「いやだな。」そのたびに手振りをつけてRくんの気持ちに応えていった。
家庭と保育の場が同じ方向性を向き、Rくんと向き合ったことで1年の間にRくんは信じること・喜びを共有する楽しさを習得していった。
そして、何より嬉しかったのが、Rくんがしてくれた頬へのキス。言葉では計り知れない沢山のRくんの思いが伝わってきた。両親以外、誰にもしたことがないという、たった1回のキス。そこには確かに信頼と共有が感じられた。
障害児とその家族
2年間の保育園での保育士生活にピリオドを打ち、念願だった障害児の療育に携わる事となった。そこには、生きる事の大切さ・貴重さ・大変さがあった。自分の気持ちを伝えようと筋緊張が高い体を動かしながら「あー、あー」と表現してくれる児・困ったときのSOSを出し方に困惑し裏目に出てしまう児。そこには表面上の言葉では言い表すことのできない、大切な心の対話があった。
また母子通園施設だったこともあり、保育園より身近で親の喜びや迷い、悩みを一緒に考えることができた。自分自身を責めてしまう保護者・この先の不安に怯える保護者。保護者に関しても正面上のケアだけではなく、正面上に現れている問題は心の根底にも根付いるケースがほとんどで、内面をどのように引き出しフォローしていくかが重要なポイントとなった。
「一緒に考えて行きましょう。一緒に歩んで行きましょう。」その言葉が私のできる全てだった。肩を震わせ泣く保護者・「ありがとう」と言ってくださる保護者。そんな利用者が私の原動力であり、勇気と元気と信じる力をくれた。
そして、親と子が正面からしっかり向き合えたとき、心の中でしっかりとその親子を抱きしめるのだった。
実生活の子育て
私事になるが、現在6歳と2歳の息子がいる。産休明けより保育園に入所させ、すぐに仕事復帰した私であった。仕事では「先生」と呼ばれ、保育士の名のもとにお金をもらっていたとはいえ、自分の子どもに対しては母親0歳からのスタート。長男が幼い頃には、夜鳴きに苦しんだり(まさにこの言葉が合う)、疲労が募り2人きりでは向き合えずショッピングセンターの遊び場でクタクタになるまで遊ばせ、帰りの車で寝かせる日もあった。そう、向き合う気力すらない時期もあったのだ。子どもの不安やイライラが察知できても、自分に身体的にも精神的にも余裕がないとそれに応えてあげることすら出来ない現実を目の当たりにした。
「自分の育児に自信はありますか?」何人の人がYesと答えるだろう。
育児には教科書はない。そして子どもにも「一緒」はない。だからこそ難しい。だからこそ悩むだろうし、壁にぶつかることもあるだろう。そしてその分、きっと嬉しさもあるはずだ。
「みなさんは育児を楽しめていますか?体と心は健康ですか?」
実際の子育ての現場
「外では楽しく遊べ、とてもいい関係を保てるのに帰宅すると・・・」
最近、そんな声をたくさん耳にするようになりました。
子育て支援センターや預かり保育の普及により、母子ともにリフレッシュできる機会が増えてきた。公園デビューならぬ、支援センターデビュー。気軽に利用できて、ママ友達も出来る。時には子どもを預けてランチなど。しかし、その一方で家での過ごし方に悩んでいる親子も多くなってきている。そう、前文にある以前の私のように。
外に出ると、お互いが「外の顔」になり仲の良い親子であるのに、一歩玄関に足を踏み入れると、そこには相談できる人もバラエティーのある玩具はなく、いつもと変わらない家事や育児。現実に引き戻された落胆する母を見て、とたんに不安定になる子ども。「家に居たら息がつまってしまいそう・・・。」
一方、それとは反対に家の中ではワンパクで元気いっぱい。一歩外に出ると、今までの元気は嘘のように母の背中に隠れ不安な表情。一緒に楽しむため外出したはずが、逆に寂しさを背負って帰ってくる。「外に出ても楽しいことなんかひとつもない・・・。」
ある母親がこんなことを言っていた。
「子育て支援と様々なところで言われていますが、本当の支援ってなんですか?外に出ていれば、いつも機嫌が良く問題視されないし、状況を伝えても返ってくるのはいつも育児書に書かれていることと同じ。そして、相談に乗ってくださる方が変わるたびに始めから同じ話を何度もしなくてならず、私の方が疲れてしまいました。私にとって必要な支援は何ひとつないんです。」
これは、わがままな訴えなのだろうか?これこそが、第2の子育て支援へのSOSだと私は感じた。
現実
不安を抱え、吐き出すところも見つけられない、将来の子ども像に自信が持てない、そして肩の荷が重すぎる。大人は責任を持って子どもを育成させる義務があるが、子どもの人格を無視することとは全く異なる。しかし、子どもの人権すら見つめる余裕のない社会があるのだと痛感した。そして「人権=子どもの言いなり」になってしまう大人。責任と人格の使い方の差の中で、子ども達は困惑する。不安を抱えた大人達を見て不安の出し口に困り、時に間違った出し方でSOSを伝える子ども達。それらの問題を知り、多くの事はできなくとも小さな架け橋をかける支援・援助をしていくべく今の私がいるように感じている。
家庭療育の試み
「子育てサポートをしたい」 常々そう思っていた私は、家庭療育事業を立ち上げた。それは、家庭訪問方式での子育てサポートである。
保育園にしても障害児施設においても、話の中心は家庭での出来事。
母親が話す家出の様子を想像しながらアドバイスをする、それに対し想像しながら実践する両親。そしてその成果を伺い、またその様子を想像する。想像の中での会話が多い事に違和感さえあった。特に長期休みを上手く使えない声や実際にも頭を悩ませた。
何でも用意できる施設とは異なり、自宅という、限られた空間と物の中での具体的な関わり方や考え方、生活と繋がる訓練提供の必要性を感じた。そして何より大切にしたかったのが、家族の中で負担が偏らない事であった。
家族のなかでは、みんなが主役。
誰かが頑張ったり犠牲になるのではなく、
みんながそれぞれに輝ける場所がきっとあるはず。
療育=癒しを育む 「頭」を育てるのではなく、「心」を育てる。それが本来の子どものあるべき姿ではないか。
母親に安心を求め・父親に憧れを抱き・自分の将来に夢を描く。
・ 感情を抑えるのではなく、出し方を育てる
・ 言葉を多く覚えるのではなく、使い方・表現の仕方を伝える
・
一場面の子ども像だけを決め付けず、いくつもの姿を受容する
・
物の使い方を固定せず、想像性を見守る
出来ていないから駄目な子・駄目な親ということでない。周りがどれだけ子どもの内面に向き合ってあげられているか。そして、これから向き合おうとできるか。いつからでも始められる。自分自身をそして子どもの力を信じてください。
これだけは、忘れないでください
あなたは決して悪くありません。そして子どもも何も悪くない。時期やタイミングが合わなかっただけ。チャンスが少し先にあっただけ。自分を責めないで下さい。悩んだ分・涙した分、その時間があるからこそ必ず笑い会える未来もある。悩んだり、涙することも必要。完璧な人間なんて存在しないんです。みんな何らかの弱いところを持っている。それでこそ人間です。
他人にSOSを出すことは間違った行為ではありません。自分で何とかできないこともあって当然です。そのために第3者がいるのです。そのための地域であり、家族なんです。
小さなの勇気も大きな解決の道筋です。
今、支援を必要としているのは
家族の中には、父・母・子がいるがそれ以前に祖父母の存在も大切だと私は考える。高齢者の増加により、様々なサービス事業が増えてきている。介護保険や支援費制度の改定により利用枠が減少した現状もあるが、お金を出せばサービスが買えるようになった。しかし、ハートは買えるであろうか。本当の温かみはどこくらい感じられるだろう。
歳を重ねるにつれ、一般的に必要な援助は増えていく。時には体の不自由さや認知症等で、自分の身の回りの事も人に託さなければいけない事もある。援助する中で手足だけでなく、耳も傾けてみよう。頭で聞くのではなく、心で聞いてみよう。今とは全く違う昔の話かも知れないが、昔の話だからこそ、そこには生きる活力が感じられる。昔の栄光を語ることで明日への活力に繋がるかもしれない。
子育て中の親同様、「家族」の枠として、高齢者の声にも耳(心)を傾けていこう。
さいごに
「家族」には、様々な意味合いがあり、核家族から3世代家族、集団・地域・社会も「家族」という枠組みに納まることが出来る。私はあえて全てを含めた「家族」の大切さを感じて欲しい。パソコンなどのデータの中では計り知れないほどの人間味のある感覚・・・五感。そこには、画面では体験できない温かみや痛み、ちょっとしたしぐさまで毎日異なり、毎日が新鮮であり、それが当たり前なのである。小さい家族の心が豊かになって、それを分け合いまた、少し大きな力になる。いつも自分は家族に属していると感じられ、自分の存在意義や子どもや高齢者の人格を尊重できる地域づくりをしていきたい。頭で答えるのではなく、ハートに支援・寄り添う心を大切にしながら。
そして何より私はそんなみなさんから生きるパワーと原動力をもらっていることに心より感謝している。